安定した仕事を捨て、フリーランス決断ができたワケ

経験から学んだこと
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プロ大道芸人としての活動9年目(2022年現在)を迎えた私も、
かつては大手化学企業の機械系エンジニアとして「ゆるぎない安定」を欲しいままにしてました。
そんな私が、なぜ<ジャグリング系大道芸人>という不安定極まりない道に飛び込んだのか?
結論からいうと「一度きりの人生、夢を諦めたくなかったから」です。

管理人の自己紹介
<管理人プロフィール> 出身:鹿児島県鹿屋市,拠点:宮崎県宮崎市 某大手企業を6年で退職、プロ大道芸人として2014年から活動してます。 脱サラした経験から得た知識・ノウハウを日々ブログで発信しております。

夢の挫折。「やりたくないこと」をこなす日々


学生時代、ジャグリングという芸能に出会った私はガッツリのめり込みました。
ただ、自分には人を笑わせるセンスも無いし技術面でも覚えが悪かったので、
全く芽が出ませんでした。
しかも宮崎という大道芸文化の全くない場所だったため、人に教わる機会も皆無・・・
結局は大道芸人という夢に見切りをつけ、「安定」を得るために大企業へ就職しました。

そう、見切りをつけた・・・ハズでした。

就職後も頭の片隅には
「あの時大道芸人へ挑戦していたらどうなっていただろう?」
という考えがよぎります。
それを目の前の「安定した給料」に意識を向けてかき消す日々。

特にやりたくない仕事を早朝から夜遅くまでこなし、時には休日出勤
自分の抱いている夢を想像しては現実の自分の状況を嘆く日々。

時々は週末パフォーマーとしてイベントに出演することもあり、大道芸人になりたい気持ちが高まり…
それでも自分に「そんなのは夢物語だ」と言い聞かせる日々。

再び夢に挑むが、トップレベルとの圧倒的な差を痛感

そんな毎日を変えたのは、何気なく応募した
「ハウステンボス公認パフォーマー オーディション」でした。
プロじゃなくても応募できたため、軽い気持ちで受験

まさかの「合格」でした。
ただ残念ながらそれは大きな挫折への扉が開くキッカケにすぎませんでした。

ライセンスを取った私を待ち受けていたのは「プロの大道芸人さん達」でした。
とても優しい方々だったのですが、いざご一緒させてもらうと
「目を背けたくなるような圧倒的なレベル差」にショックを受けました。

当時、ハウステンボスではONE PIECEとのコラボをやっていたため園内にはONE PIECEの曲が流れていました。
なので、これらの曲を聞くと今でもトラウマが蘇ってきます(笑)

少なくとも宮崎では、そこそこステージを盛り上げられるくらいになっていたのですが…甘かった。
他のパフォーマーさんが100人お客さんを集めた状況で、私が集めた人数は4名。
帰りの道中、泣きながら高速道路を走りましたよ。
(前が見えなくなって事故りかけたのは内緒)

まとめ:自分を変えるチャンスを見逃さないこと

負けず嫌いの私は自分を奮い立たせて定期的にハウステンボスに通うようになりました。
そして試行錯誤をする中で気づいたのです。
<何かを成し遂げるためには自分を崖っぷちに追い込むことも必要>
仕事をしながら片手間で大道芸人をやっても絶対に結果は出ない。

こんなに好きなことがあるなら、一度きりの人生やってみないと一生後悔する!
このハウステンボスでの経験が無ければ、私は今でもサラリーマンだったと思います。

自分を別のステージに飛ばすチャンスの種は、案外色んな場所に落ちているのです。
それを拾うか、見逃すかは人それぞれ。
「脱サラ」に少しでも興味がある方は、試しに拾ってみるのもアリかもしれません…

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